January,2024
Chou Chia Yu
:She says, “You should do it.”She says, “I should do it.”
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結び目をむすぶときに思い描くのはかたち、ほどくときは紐。
嬉しかったり、楽しい気持ちになると
なんとなくカラダが浮遊しているような気がしてそれに酔うような吐き気をおぼえる。
いい吐き気。
打ちひしがれたり、悲しかったりすると
おなかの奥にズンとしぶくて重いなにかがつっかえる感覚になる。
いつも赤ずきんに出てくるオオカミの最期もこんな感じかなぁと思い出す。
これは、個人的な身体感覚だけど
あたらしいお店に移転して施術をすることで
ひとりひとりのカラダの動きやクセなどを
ふとしたときに目に留まるようになった気がする。
空間が広くなったことで、視野の中にいる相手の動作や動きを
お話ししながら目に入ってくる感じ。広角レンズみたいに。
それが、そのひとりひとりの考えていることや日々のお話をしてくれているときに
その人のカラダの中でどんな感覚なのかを考える(あくまでわたしが想像するのに)
情報、ヒントになる気がしている
それとは別なようで、なんとなく関係するようなこと
カラダとこころを二側面とよく分けるけれど、
実際に治療していると、その2つは繋がっていて連動しているし、
こころの中でも、「こう思う」という自分の意思と、無意識の部分と、
違う事象を考えたときには最初の意思からはほぼ遠い矛盾した意思が出現したり、する。
出現に気づかないままなこともある。気づかないように無意識に避けたりすることもある。
さまざまな矛盾があって、一貫性を見出す方がむつかしい。
意思に一貫性などある人は、いないのかもしれない。
いたらそれはそれで、カラダの状態はどうなんだろう。
治療をする上で、「こういう状態がいい」とか「こういう考え方がいい」というのを
よくお客さまから「そうなんですよね?きっと」と申し訳なさそうに訊かれる。
もちろん、ある程度の健康へ向けてのレジメは確立していると思う。
たとえば
「いろんな情報があるけれど、一番は自分のカラダやこころは何を求めているかに従う」とか。
でも、なんというかみんな、一所懸命に生きていていつも矛盾していて、
悩んで、落ち込んで、過去や来てもない未来を行ったり来たり迷走しながら
とてもいびつで、私はそれがうつくしいと思う。
紛れもなく、与えられた唯一の、いびつな生。
その矛盾を容認するのではなくて、いびつさを研磨するだけではなくて、
それを生じるまでの過程でできた、堅い結び目をすこしでもゆるめられたら、
一緒にほどくまでしなくとも、
「これ固すぎやしないか、、どうやって結んだんだろうね」
と近づかなくてもそばでそんなやりとりをしたい、
その中でわたしがやれることを最大限考えて提案する。
治療というものをそう捉えるようになった。
