March,2023
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後ろを振り返って眺めていると
続けてみてはじめて知ることにたどり着いて、
続ける意味を、続けることそのものから教わった
このコラムをはじめて、最後のページになった。
改めて、4月からのコラムを読み返してみた。
自身の文章の拙さはさておき、それでも稚拙な割にも伝えたいことがあったのだ。
この12回のコラムにおいて、<言葉にならない>ことを言葉にする試みをなるべくしてきた。
言葉自体の可能性も、カラダに関する価値観も、自分の在り方についての問いも、
わたし個人にしては、ささやかかもしれないが小さな挑戦でもあった。
そして、その言葉のやり取りで生み出される、絵という表現。
しつこいようだが、
<言葉にならない>を言葉にする試みでこのコラムをやってきて
いろんな出来事がある度に、その中の<言葉にならない>のカケラを拾っては
なるべく言葉として投影を試みた。
この作業はいったいなぜ行いたいと思うのだろう?
続けていくと、どうなるのだろう?
という漠然とした疑問もあり、自分の中でピッタリと疑問の溝にはまる答えもなかったように思う。
ただ、続けていくことに意味があるようにも感じていてこの点については確信めいていた。
そして11回のコラムを読み返して、その疑問とそうさせるわたし自身の動機がわかった気がする。
伝えたいこと、というのは、情景なのだ。
自分の中にある情景を構成するピース、それを言葉という媒介によって、伝達する。
だけれど、個々によって言葉自体の解釈や重みが違ったりする。
そのハードルでなかなかおなじ情景を共有できない。
でも、その時に個々の言葉への解釈や咀嚼の仕方を知ることで、その人が生きてきた中でそれが形成されてきたとも知る。
そのこと自体もその人の情景に触れている気がする。
みなそれぞれ生きていて、今の1秒前までも生きてきた。
その人の見てきたものを、その人が<今のその人>で在ることを、知ることも嬉しい。
そして、それがどこかの一片でも交わって
おなじ情景を見ることができて、お互いこう思うんだよ、と話せたら
どんなにいいだろう、と思うのだ。
そういう意味では、
<言葉にならないことを言葉にする>=<情景の再現性>ということが
テーマであったと、腑に落ちた上でイラストを見ていると、
また違う見え方ができて面白い。
Momoe Narazakaさんのイラストや添えられた文章には、
彼女の人柄が垣間見えて、とても嬉しかった。
直接お会いしたことはないのだけれど、それでもいつも返してくれるものが
きっと目を凝らして言葉を見つけ、ゆっくり噛み締め出力してくれたのであろうとわかるものでした。
改めて見返して、絵というのは、表現方法として縛りや垣根がなく自由を自身で見つけられる場所でもあることを感じて、そのことが私自身を楽しませてくれているのだな、とも。
イラストレーターとしての技術の高さ、そして何より彼女の深い理解にも。
更新がスロースロー、、、でしたが
みなさま、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
Momoe Narazaki:
後をついてくる自分と、先を行く自分。晴れの日はそこにいたのに、雨の日にはいなかった。
そこにいるけど、そこにはいない自分。
壮大な宇宙の隅っこで、地球に影を落としているこの小さな身体を、見失わないで。
