May,2022
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わたしという、国
人間と共鳴する機械にのってそれを操縦しながら、
なにかと闘うロボット系アニメ
記憶では、
序盤の回で、主人公が操縦する機体とうまく動かすことができずに
暴走したり、動かなくなるシーンがけっこうな確率で、ある。
「なんで動いてくれないんだ、、!」みたいなセリフや、今まで聞こえていた声が聞こえないとか、そういう。
そして、それはなにかと原因がある。
主人公が自暴自棄になったり、病んだり、目的を見失ったりしている時が大体である。
機体からしたら、「その精神状態なら動かされたくないよね、、」と観ている第三者側は思う。
だから機体は辛抱強く待つのだ。
主人公が本来の自分を取り戻してくれるのを。健気すぎる。
わたしたちも、似ている。
この場合の主人公は、じぶんという意識のことで
カラダという機体、入れ物にはいって操縦している。
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わたしたちは生きていくために、ふだん物流がないと必要なものが得られない。
住まいの材料も、食べ物も、カラダを清潔に保つのだって、カラダから出た物だって、そのまま置いていることはない。
生きていくことは、常になにか運んでいる。
届けたり、動くことで得られるし、手放すことができる。
全ての物が一箇所で完結できるわけではないから、いろんなものが行き交う。
カラダもその社会の物流に当てはめてみる。
それぞれの場所に栄養を届けたり、
不要なものをリサイクルしたりする動脈や静脈は、
“高速道路“
そこから枝分かれして細かい場所まで届ける毛細血管は、
“一般道“
内蔵につながる中継点で、
目には見えないけど内蔵の状態を表してくれる経絡とツボは、
“地下鉄路線とその路線上の各駅“
頭だったり、内蔵だったり、四肢や、五感を感じる器官など
たくさん詰め込まれているけれど
それ以前に
すべてのカラダの器官や機能は、供給してくれるルート(血流)が
正常に動いていることが条件なのだ。
その場所に届いて、供給されてはじめて機能が活かされる。
そして、そのカラダを操縦しているじぶんという意識は、
自律神経という媒介から、全身の交通網の速さや流れを調整したりする。
わたしという存在は、
1人の人間というのは、
もうそれは、一つの国なのだ。
住み心地はいかがだろうか。
わたしという国は、いま豊かだろうか。
どうしても
自国をより幸せにすることよりも、
外とのつながりに、人は、大事なものが多すぎる。
親や子供、家族、友人、職場、お金や社会、、
じぶんという国を治めるよりも、
優先すべきだと思ってしまう。
とっても大切なものだから、よけいに。
最初のロボット系アニメの話に戻すと、こうも言える。
物語だと、最終的に機体と主人公のシンクロ率は高まって共に成長していく。
わたしという入れ物と、わたしという意識の共鳴はどのくらい進んでいるのだろう。
シンクロ率によっては、年齢を重ねて機能が落ちたとしても
わたしという国としての成熟度と豊かさは上がると思うのです。
そして、そのシンクロ率を高めるには
*外とのつながりや関係性から、自身の優先順位に疑問を思ったとき(外と内)
ex
「なんとなくやってたけど、これ本当にわたししかできないことかしら」
「こういうふうにまわりから求められてきたけど、本当はこの役回りはしたくないな」
「雰囲気的には、本当にこういう立ち回りしなきゃいけないのかな」
*今のじぶんの中の物流に影響はないか、ちゃんと滞りなく届け物を運べているか(起点と終点)
ex
「きのう寝不足だったから朝手足がだるいし冷えてるかも、腰にホッカイロつけておこう」
「今日は緊張して呼吸が浅いかんじがしたから、夜はゆっくりお風呂に入ろう」
「胃が重たいから消化機能が落ちてるのかな、あたたかい優しいものを食べよう」
どこからをきっかけにしてもいい。
間接的に立ち止まることを教えてくれることが多いように思う。
なにより、
わたしという入れ物は、いつまでも、健気にそれを待っている。
辛抱強く、いまのわたしを受け入れながら、待ってくれている。
Momoe Narazaki
:自分自身なのに、自分の体がどんなふうに機能しているのか、正直全然わからない。自分の中のいろんなシステムが毎秒毎分うまいこと流れを作ってこの心臓が、この手が、この頭が動いている。そのシステムがどこかで小さな事故を起こしたり故障をしていても、気がつかないことがほとんどかもしれない。毎日一生懸命機能している自分のために、もっといたわってあげないと、と思ったりする。
