August,2023
Chou Chia Yu
:Let’s take a picture!
8
さいきん解像度が低いほうが記憶には鮮明にのこる(気がしている)
一人暮らしをしていたころ、初めてパソコンを買った。
MacBookだった。
性能というよりもデザインで選んだ。
もちろん気に入っていたのだが、途中でワープロが無性に使いたくなった。
ちょうど祖父のワープロをもらって、家まで運んだ。大きくてずっしり重かったのを憶えている。
スマホを買い始めた時もそういえば、そう。
当時WILLCOMという小さな小型の携帯電話にしたくて、結局そちらに変えた。
手に収まる小さなリモコンのサイズで、電話とメールしかできなかった。
何年か前、じぶんの車を手放した時に
つなぎとして、家族の車を一時乗っていた。
ワーゲンの素敵な車で、乗り心地もとても良かった。
そのあと、わたしが選んだあたらしいじぶんの車のオーディオ機能は
唯一ラジオだけで、それがなんだか嬉しかった。
あたらしいものが好きだ。
刺激されたり、感動したりする。
洗練されていたり、改良されていたり、知恵が働いていたり、
形になるまでの過程にさまざまな背景があると思い馳せたりできる。
そして、古いものがとくべつ好きなのでも、ない。
おそらく、「あたらしい」を生み出す過程で、必要な「便利」だけが残り
切り捨てられた「不便」と思われるものの中に、単に個人的に惹かれるものがあるのだろうと思う。
ずっと変わらないものが好きなわけでもない。
不変より可変の方がずっと、好き。
でも変わっていきながらも、いつでも振り向いて、置いていったものを遠くから眺めたり
もう一度触れにいったりするのも、じぶんの中で時間軸や時空が動くようで好き。
それは思い出ではなくて、記憶のままにしておく、みたいなこと、
そうすると慈しむのではなくて、今もずっと昔も、現在の場所に一緒に座っていられる。
ずっと、記憶も不完全で保つことができる気がする、そうやって思っている現在のじぶん自身も含めて。
ワープロは、ひとつひとつのキーが重たくて、画質もあんまりで角度によっては見えづらい。
画面の字そのものに滑らかさはないし、起動するのも時間がかかったり
WILLCOMの携帯電話は、サイズも小さいしボタンも固くてよく打ち間違える。
車のラジオは、なかなか周波数が合わせづらいし、なぜか日に日にズレていく。
その「不便」が全てクリアされてしまうとしたら、とてもかなしい。
そういうことって、みなさんの中にもあるかな。
