September,2023
Chou Chia Yu
:control
9
にがくて、酸っぱくて、舌に残るあたらしさ
このあいだ、自分が体験した出来事と、その時に自分がどう感じたかを、全く想定できない。
というところまでの、体験を書き留めようと思いますこの体験の中で、もっとも大事だと思われるのは、
最後の、じぶんのどう感じたかというところが想定外だった、
青天の霹靂だったという点についてだということを強調します。
あるお店で、サービスを受けている最中に
店側の事情で、終了時間が大幅に遅れることがありました。
こちらもその後すごく急いでたわけではないので、最初はしょうがない、とのんびり待っていました。
ただ、時間が経つのと、スタッフの動きや言動が比例していないことに、少しづつ苛立ちを覚えていきました。
遅くなるのはしょうがない、誰だってミスはあるとわたしが了承することと、
それに対してミスしてしまった側が、急いでる感じも申し訳なくしている態度もないことに
蔑ろにされていると感じたことによる苛立ちだったと思います。
もちろん言動には出ないようにしていたけれど、漏れてくるものがあったのでしょう。
違うスタッフがすまなそうに声をかけてくれました。
おそらくそのやりとりも、担当のスタッフさんには全て届いていたと思います。
そして、そのスタッフさんはマイペースに他のお客様と談笑していました。
わかっていてあえて談笑していると感じました。
被害妄想とかではなく、実際そのスタッフさんがわたしのその苛立ちに気づかない、
周りが見渡せない人ではないと、
短くはない付き合いの中で知っているからです。
そのあとわたしは待たされたあと、そのスタッフさんはするりとこちらに来て
さらっと、完成度の高いものに仕上げてくれました。
帰りの見送りも「またね」とにっこり笑顔で手を振っていました。
この時には無性にわたしは、じぶんに、恥ずかしくなっていました。謝ろうかと思ったくらいに。
呆然と帰り道を歩き、じぶんの湧き出てくる恥ずかしさは一体なんなのか、途方に暮れ、そして混乱していました。
なんども記憶を巻き戻して、考えました。
このエピソードを実際人に話すと、怒ったり、憤慨したり、
「そんな思いをするならもう行かない」という人もいました。
確かに、そこの部分を切り取ると、サービスに生じる支払いに見合うサービスの質だったかといえば、それはNOだと思います。
わたしもだからこそ、途中まで怒っていました。その行動は、よくないと、はっきり今もこれからも思います。
ただそのことに対する言及なのではなく、
「現状は変わらないけれど、せめて急ぐことや謝罪の行動を示してほしい」という湧き出たわたしの要求(パス)が、
受け取られることはがなかったことによって、その場にその「~すべき」というわたしの欲求だけが浮き彫りになりました。
浮いて宙ぶらりんになったじぶんのその欲求そのものを再度自分で眺める状況になったということが
大事なところで。
まず衝撃でした。
正直そのスタッフがそういう行動をとった云々よりも、その結果その時にわたしが相手に対する強い欲求が
部屋の中で花火をしたら、火花やすすや煙が出るみたいに、それが目に見える、
手に取れるんじゃないかと錯覚するほど鮮明に放っていることを自覚したわけです。
置かれている状況やじぶんの立場、常識的なことなどはすっかり頭から抜け落ちて、
「いまの、このじぶんが嫌だ」と感じたわけです。
完全に、わたしが「わたし」に対する「嫌」。
「じぶんがされて嫌だと思うことは、人にはしない」というのはベースにありますが(大前提〕
「じぶんが嫌だと思うことされたときに、じぶんがそれを踏まえてどう振る舞うか」のところ。
「されたこと」や「してきた人」に対してではなく、
「嫌な思いをした自分がそのあとどういうふうに表現するか」ということを考えたいと感じたのでした。
これを深めていくと、
好き:嫌い、気持ち良い:悪いなどのさまざまな対比した感情の度合いと
それに基づいた選択への意思はシーソーみたいには比例しないのかもしれないという仮説も
その塩梅って、じぶん自身も、ましては他人のことだとよけいにわからないよね!
ということにもつながるし
そういう皆目見当がつかないことを目の当たりにする時って、その「わからない」の局面にぶち当たった時。
頭を強く打って、目がチカチカしたりする、あの感じ。
それが、とても、なんともいえなく知れた。
