いつも舞台裏や袖の場所にときめく。
写真集やドキュメンタリーなどを観ていてもその現場を見ると胸が高鳴るかんじがする。
特に袖の場所にいる人々は、いろんな感情の渦と緊張感との葛藤と、ある意味人格の切り替えの境目みたいなものができる場所なのではないかと思う。
そのピンと張り詰めた空気と、戻ってくる場所としての安心できる緩み、もしくはまだその緩みが解けていない中で、それでもなにか終えた者が始まる前とは違うものを纏って帰る場所。
ひとつの場所で人が行き来する中で、こんなにも行く人と帰ってくる人の温度が違う場所はないのではないかと推察する一方で、
袖から向かう場所への気持ちをそのまま同じだけ持って帰ってきたなら、
それは“袖“という場所の意味はなんなのだろうとも思うけれど、
その境界線さえもどこで引くかわからなくなる、その意識の景色も知りたいとも思う。
たしか、なにかの発表で、
始まりと終わりの時の暗幕の切り替えをする役をしたことがある。
赤いベルベットの、重くてホコリっぽいカーテンを左右にタイミングを合わせて開けたり閉じたりするのだけなのだが、これがたまらなく好きだった。
これからどんな素敵なステージになるっていったって、このカーテンを開けなくてははじまらないのだ。同様に、はじまってしまったらいつか終わる時にも閉じなければ、終われない。
そう思うと、そのドアのカギを持っている、そして世界の切り替えの場所にいるという高揚感。
(もちろん、勝手にそう思っているだけできちんと厳密に開け閉めをしなければならない、勿論。)
その時のあの場面展開の起動スイッチの感覚を感じたくて
どんな映像でも、写真でも、
つい舞台よりも舞台裏の方が気になってしまう。
この“Ballet”という写真集は、ずっとほしくてアメリカから取り寄せた。
たしかいつぞやの自分へのクリスマスプレゼントにした。
華やかで同時にさびしくも過酷で、なによりうつくしい。
こういう本は、その時映された人々の記録であり、生きてきたという歴史として肌身を感じる(そんな言葉あるのかな、なかったら造語として解釈求ム)ので、より丁重に、大切にしなくてはいけない気がしてくる、
この本のページをめくるとき、いつも”袖”にいる暗幕のカーテンを握る記憶がよみがえる。
Ballet Henry Leutwyler
hardcover
408 pages
304 x 231 mm
color, black and white
2015
